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  • 今年はコロナ禍で遠くへ行けない。大晦日。ぼんやりしてると、子供の頃、毎年帰省していた群馬・桐生の祖母の家を思い出した。

    祖母の家の門をくぐる。靴の揃えてある玄関から家にあがると両親は新年の口上を述る。畳に手をつき、深々とお辞儀を行う。この場面でしか見ることのできない姿である。後ろにいる小学生の私は中途半端な礼をして、いつも恥ずかしさをごまかしていた。

    挨拶を終えるとこたつに誘われ、祖母は「はいとう(はいどうぞ)」とミカンが出される。まだ雰囲気になれない私は、無言でお年玉を待つ。

    私の目線の先には漆喰の壁に掲げた「歳月不待人」がある。

    それは叔父の亮が高等学校の時に書いたもだと後に聞いた、祖母の家のここにあたりまえのようにずっとある

    時は待ってくれない、だよねと私はずっと思っていた。でも、本当にそれだけなのだろうか?こたつに訪れた多くの人もこの壁を見ていたはずだが、私の前でこの書が話題になったことはない。

    机の上の冷めたコーヒーを持ちながら不思議に思う。別に光陰矢の如しでもいいし、なんか月並みすぎて野暮ったい。書道展で優勝した話も聞いたことはないし、額に入れてまで飾る必要はあっただろうか?

    早速、ネットで調べた。出典は、陶淵明 雑詩十二首(其の一)である。この一文の意味は確かにそのとおり。しかし、全文の感触は私の想像とは異なっていた。

    歳月は人を待たずというだろう。遊んでばかりいないで勉強しなさい」という例文は、本来の意味からは当てはまらないことが、その時はじめてわかった。

    (→例えば、http://kotowaza-kanyouku.com/saigetsuhitowomatazu

    正月の閑散とした市立図書館。いつもは立ち入らいない棚のところへ行き、陶淵明を調べてみた。

      『雑詩十二首(其の一)』

      人生無根蔕  人生 根蔕なく
      飄如陌上塵  飄として陌上の塵の如し
      分散逐風轉  分散し風をしたがいて転ず
      此已非常身  これすでに常の身に非ず
      落地爲兄弟  地に落ちては兄弟と為る
      何必骨肉親  何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
      得歡當作樂  歓を得てはまさに楽しみを作すべし
      斗酒聚比鄰  斗酒 比鄰を聚めよ
      盛年不重來  盛年は重ねては来たらず
      一日難再晨  一日 再びはあしたなりがたし
      及時當勉勵  時に及びてまさに勉励すべし
      歳月不待人  歳月 人を待たず

    (義解)人生は、これを木にたとえれば幹に根があり、花ふさにへたがあってしっかりとめておいてくれるようなものではない。パッと飛んでしまうこと路上の塵や埃のようなものだ。風のままに分かれて転がりゆくこの体は常住普遍のものではないのだ。我々人間同士は、地上に生まれ落ちるやお互いに兄弟となっている。骨肉の縁続きの者だけが親しいものと決まったわけではない。だから、一斗の酒をもってあたり近所のものを寄せ集めて、おもしろいときには寄り合って楽しみをなすべきだ。盛の若い年は二度とこぬ。一日に二度の朝がくることはない。折につけ、せいぜい遊ぶべきだ。年月が過ぎゆかず、私を立ち止まって待っていてくれることはない。

    なるほど。やっぱり、そうだよね。

    明治生まれの祖母は、女学校を卒業した後、家を出て結婚した。しかし、早くに夫(私の祖父)を亡くした。四人の子供(私の母は長女である)を一人で育てるも、いわゆる母子家庭で苦労があったと母から聞いている。

    この詩を書した青年、祖母の子供・長男である叔父にとっても父親の記憶はほとんど無かったにちがいない。

    叔父は、後に勤めた銀行で、実績を上げ続けたエース的存在だったらしい。NYへ行ったり本部へ異動するなど、将来を嘱望されていたが40代半ばで病に倒れた。

    予備校で行きなれた駅の川向こう、暗くコンクリートの病院へ転院した頃には本人の意識はすでに無かった。しばらく入院していたが、そこで祖母は我が子も病で見送ることになった。

    私がサラリーマンとしての栄達や人事に興味を持ったのは、叔父の影響である。人事部時代の臨店の話や、誰を支店長にするのかなど人事の話を、こたつで大人に交じって聞いていたからだ。

    高校生の叔父はどんな気持ちで筆を持ったのだろう。今となってはその想いを知ることはできない。

    夫と長男を早くになくした祖母。100歳を超えても壁に額を掲げ続けた祖母の気持ちも今では知ることはできない。

    にぎやかだった祖母の家は主をなくし、数年前から更地になっている。

    <参考>

    ・吉川幸次郎(1956)新潮叢書『陶淵明伝』新潮社(叔父も読んだであろう)

    ・鈴木虎雄訳註 (1991)『陶淵明詩解』東洋文庫(上記、義解参照)

    ・一海知義(1997)岩波新書『陶淵明-虚構の詩人』岩波書店(田園詩人とは異なる切り口、解説で面白かった)

    ※ 我が家にこたつはありませんが、あたたかく今年のお正月を迎えることができました。

  • OECD定義によれば、ヒューマン・キャピタルとは、「個人的・社会的・経済的な幸福の創造を促す、個人に内在した知識、スキルやコンピテンシ-とその属性(※)」である。

    ヒューマンキャピタルとは、人間の持つ能力(知識や技能)を資本として捉えた経済学(特に教育経済学)の概念であり「人的資本(HC)」と表現される。もともとは、それは資格や学歴として測定されうるものであり、人を「単なる労働者」ではなく「労働者個々の能力」とすることで投資対象となりうる資本であるという考え方である。これは1992年ノーベル経済学賞授賞のゲーリー・ベッカー(Gary Stanley Becker)らにより提唱され、後に人的資本論として展開されることになった。

    その後、以前の職場の先輩である内田恭彦(山口大学経済学部教授)さんが、知的資本経営の文脈でリクルートワークス研究所の機関紙『Works』などを使い議論を展開していた。そこでは人材の能力や組織の能力やアジリティも含まれる「人的資本」は、顧客や株主との関係による「関係資本」や、知的所有権、システム、業務プロセスなどの「構造資本」とならび知的資本を形成するものと位置づけられた。それ以来、無形資産の価値が企業の競争力を決めることは経営の常識となった。

    ところで、当社の社名には「ヒューマンキャピタル(HC)」という言葉が入っている(た)。「HCを高めましょう!」という当社のメッセージが社名に込められているのだが、HCの意味についてお客様から質問されることもあまり無く、最近はこちらから話をすることもなくなってしまった。

    振り返るならば、創業以来経済学的なアプローチで純粋なHCのコンサルティングを行うことは無く、その実力も私たちは持ち得ていなかったとも言える。

    本年2月の社名変更により「ヒューマンキャピタルコンサルティング」の看板をおろし「ブライトンヒューマン」を掲げる。

    ご案内 → http://www.br-human.com/detail.php?id=1260

    研修事業を中心にすえることで、ヒューマンキャピタル向上は事業内容そのものとなった。これからは、新社名のヒューマン、ヒューマニティを理解し、実践する努力をしてまいります。

    #2021年3月1日より社名変更

    新社名:ブライトンヒューマン株式会社(略称:BRH)

    ※ブライアン・キーリー(2010)<OECDインサイト2>『よくわかるヒューマンキャピタルー知ることがいかに人生を形作るか』明石書店